サンソスウ

アヤスミスのブログ

今日の落書き 5/8〜5/11

自分でも時々愚かだなと思うのだが「ぎっしり描きたい」という欲求が押さえられない。

絵以外となれば、どちらかというと「非ぎっしり」のほうで、冷蔵庫はいつもスカスカだし、本屋や衣類等、持ち物も使用していなければ、まだ使える状態でも潔く処分できる。でも、絵になると隙間を埋めたくなってしまう。自分でも「なんでこんな事を始めたんだ。」と思いながら描いているし、少ない要素で魅せる絵を描く人に憧れているのだけど止められないのである。

そういうわけで、ぎっしり。

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この時点で目が回っていたので、もうこの辺でやめておけば良かったのだけど、

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少々増えた。(この画像はスキャン後のもの。)

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母の日のメッセージに仕立ててみた。


ただいかんせん、あれこれ用事が出来てしまって集中して作業する時間がとれず、時間がかかった割には不出来であるのが心残り。
しかし、デジタルで作業するとキリがないので、時間があっても時間の限り悩んでいそうな気もする。

母の日といえば、マレーグマ。

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というのはもちろん冗談。
美しいカードが多い中、こういう少しギョっとするものだってあってもいいんじゃないか?と思いつき、すぐ落書きしてみたもの。マレーグマについての観察が必要というのはさておき。

そして、「ぎっしり描きたい病」の原因の一つと思われる記憶が蘇って来た。幼少期に自宅にあったザ・ビートルズのアルバム「リボルバー」のジャケットである。昔はLPって言いましたね。

 

リボルバー

リボルバー

 

 

 四歳か五歳の頃この絵を飽きずに見つめていた事を、花をぎっしり描きながら思いだしたのである。何が影響しているのか意外とわからないものだ。

そして、このLPの持ち主は私の母であった。
母が洋楽を聴かない人物だったら、何かが違っていたのだろうか。

母とは容姿も似ていない、お互いあっさりした性格で甘えた記憶もほとんど無い、母の日に語るようなエピソードも無さすぎて、これで母娘なのかと思ってしまうほどだが、私は彼女から本当に沢山の影響を受けていて、それが今までの私を支えてきたのは間違いない。
なので、私にとっては「ありがとう」という一言だけではしっくりこない、とても不思議な存在だ。
そんな母の人格形成に関係しているのは祖母である。ともに老人となった2人は容姿も発言もそっくりになった。

2人とも今のところなんとか元気である、2人の母がこの世に存在してくれ、今も私に影響を与え続けてくれている幸せに感謝。